フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (Franz Joseph Haydn) 解説

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フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

Franz Joseph Haydn

(1732〜1809)オーストリア

ウィーン古典派の中心人物の一人で、ベートーヴェンの先生でもあり、モーツァルトと共にロココ時代大作曲家の双璧をうたわれるフランツ・ヨーゼフ・ハイドンは1732年3月31日、低オーストリアのローラウに生まれました。
父は大の音楽好きで、楽譜が読めないのにハープを演奏したそうです。ハイドンは5才で父の弾く小曲を正しく歌うことができたので、ハンブルクの学校長だった親戚に預けられました。その才能は早くも開花し、6才で教会の合唱席で2、3のミサを歌うことができ、ボーイソプラノ歌手として常にソリストの地位を確保していました。しかし作曲の方は全く独学で、生涯一度も組織的に作曲法を習ったことはありませんでした。
27才の時、貴族の楽団の楽長という地位を獲得しました。その翌年にマリア・アンナ・アロイジア・ケラーと結婚しましたが、生涯子供や家庭の幸福を得ることはできませんでした。
1761年、アイゼンシュタットに城を持つハンガリーの大貴族、エステルムジ候の副学長に任命され、5年後には楽長に昇進しました。
1780年代初めになるとハイドンの作曲家としての名声はヨーロッパ各地に拡がっていきました。
1784年頃、24才年下のモーツァルトと出逢い、以降1791年にモーツァルトが死ぬまで、2人は深い友情で結ばれました。モーツァルトは弦楽四重奏曲6曲を「ハイドン・セット」として彼に献呈したのです。
晩年は、オラトリオ「天地創造」「四季」などを作曲上演しましたが、1809年5月31日、ナポレオン軍に占領されたばかりのウィーンで、老衰のため永眠しました。
ハイドンの重要な功績は簡潔に言えば、古典様式の確立という事で、エマヌエル・バッハや、マンハイム楽派から受け継がれたソナタ形式はハイドンによって一層充実したものとなります。また、交響曲、弦楽四重奏などにおいて素晴らしい功績を残しました。「パパ・ハイドン」の愛称によって親しまれているように、ハイドンは温厚で快活な人間性を持っていました。古典主義音楽のあり方はハイドンによって受け継がれ、そしてバトンタッチされ引き継がれていきます。

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