ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart) 解説

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ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルト

Wolfgang Amadeus Mozart

(1756 〜 1791) オーストリア

ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルトは、 1756 年 1 月 27 日にオーストリアのザルツブルクに生まれました。幼い頃、姉のクラビアのレッスンを聴いているうちに、ごく自然に和声の感覚を身につけ、誰にも教えられないうちから、ひとりでクラビアを弾けるようになっていたといわれます。 その後は一家で演奏旅行に出かけ、パリのベルサイユ宮殿をはじめとしてヨーロッパ各地での演奏会はどこでも大成功を収め、「天才少年モーツァルト」の名はヨーロッパ中に知れわたりました。
13 才の時、モーツァルトはイタリアを訪れます。時のローマ法王より「黄金拍車の騎士」という名誉の位をさずけられ、アカデミックフィルハーモニー協会では、満場一致で彼を会員に推薦しました。また、システィネ教会の門外不出の曲とされていた「ミゼレーレ」を一度聴いただけで、五線紙に書き留めてしまったといいます。イタリアからザルツブルクに帰ったモーツァルトは、音楽家に敬意をはらわない新大司教とはうまくいかず、ザルツブルクを離れウィーンで自活をはじめます。このウィーン時代の 10 年間は、これまでのように旅に明け暮れることもなく、落ち着いて作曲に専念することになります。
26 才の時、「魔弾の射手」の作曲家として知られるウェーバーのいとこにあたるコンスタンツェと結婚しています。「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」 「魔笛」の三大オペラ、第 35 番「ハフナー」から第 41 番「ジュピター」までの7つの交響曲のほか、ピアノ協奏曲、セレナード、弦楽四重奏曲、クラリネット五重奏曲、ピアノ・ソナタ、歌曲など、傑作のほとんどがこの時期に作曲されています。 しかし、病弱な体にむち打った少年時代の無理がたたり、さらに生活の心労が加わって、次第に健康をそこね、最後の力をふりしぼって「レクイエム」を作曲しますが、自らの手で完成させることはできず、弟子のジェスマイヤーに残りの指示をあたえるとペンを落とし、 1791 年 12 月 5 日に神に召されました。

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